今日、バンクーバーで17日間行われた冬季五輪が閉幕します。
日本勢の成績は選手はよく頑張ったのですが、金メダルが無く、個人的にとても寂しい五輪でした。
私はこの五輪で、民主党政権になって昨年12月にブーム(?)のように連日注目を集めた行政刷新会議による「事業仕訳け」の中で「スポーツ関連予算の削減」判定による影響でどうなるのか、という点に注目していました。

直接今回は強化費が出なくて、強化が出来なかったという訳ではないが、協会・選手に与える影響が少なからずあるだろうし、成績が悪かったときには世論的にもっとメダルが取れるように強化費を出そうとなるのではと考えています。

その中で期待された女子フィギュアでも惜しくも銀メダルに終わり、韓国の選手の強さが際だちました。
その韓国ではスポーツ強化に力を入れ、アジアトップの14個のメダルを獲得し、内金メダルは6個に上る成績を残しました。

今後、日本もスポーツ強化に少しはカネをかけろ、という風潮が出るだろうし、事業仕訳けでの「スポーツ関連予算の削減」という判定にも影響を与えると思います。

しかし、単純にお金をかけるだけで成績が出るわけではなく、選手をサポートする指導者の協力体制も重要であり、今回の日本代表ではその辺りが失敗したのではないかと考えます。

それは、スノーボード選手の服装と発言が物議を呼び、スケルトンでは用具に関する規定違反で滑走前に失格するなど選手及び選手をサポートする指導者側の問題が大きくクローズアップされたからです。

もし、自社の社員がスーツのパンツを腰履きして出社してきたら?と考えられた方も少なくないと思います。

このことは企業経営の場面でも、全く同じことが言えます。
「もし、その社員の営業成績がbPだったらどうしますか?」
「また、別の社員が茶髪に鼻ピアスをして出社してきたらどうします?」

それらを「個性」として、認めてあげますか?

恐らく、いくら成績優秀でもほとんどの企業では認められないですね。
その認められない理由を説明する際、ほとんどの方が「社会の常識」を理由に本人達に説明するでしょう。
しかし、彼らには理解できず、「ちぇっ、うるせーな」という態度になり、最悪なケースは解雇で争うケースにまで発展します。

結局は、「規則」にダメだという理由が無く、「規律」にあるということを理解できないため、議論が噛み合わなくて、ずっと平行線を辿るだけなのです。

この背景には、日本では明文化された「規則」「契約」よりも理屈ではなく不文律でわかりづらい「規律」「習慣」が重んじられ、大切にされてきたことがあります。

それは、もう子供ではないのだからいちいち細かく禁止事項を羅列して用意周到にリスクヘッジするような「個人と個人の間に戸を立てる」規則よりも、「常識」や「社会通念上の慣習」など道徳により個人で律する「目に見えない暗黙の了解」という規律の方が美徳とされ、評価される社員もマニュアル遵守だけの社員よりも、阿吽の呼吸で行間が読める社員なのです。

今回の服装問題やスケルトンの失格問題は、色々理由があるかも知れませんが、結果として各競技の責任者に規律を守る意識が希薄であり、規則さえも守ることが出来なかったために起きたと言わざるを得ません。

良い選手を育てるのも一人前の社員を育成するのも要は同じで、費用と時間さえあれば出来るものではなく、本人の素養と指導する側の「規律」が大事だと再認識しました。

今一度、自社の「規律=社風」を再確認し、問題社員が出たときに今の「規則」で大丈夫なのか検討してみては如何でしょうか。

さもないととんでもない格好・行動をする社員が近い将来出勤してくるかも知れませんよ。