世の中が不景気になると必ず「企業経営論」なるものが必ずどこかのビジネス雑誌には掲載される。
世の中が不景気になると、不景気の中で業績を伸ばしている企業の経営者の考え方・これまでの歩みを取り上げられ、大学生の就活人気ランキングでも時代を反映して、不況下でも影響を受けにくい日用品メーカーがランク上げ、独自技術を持つ中小企業が注目を集めることがパターン化しつつある。

そして、好景気下では、あまり気にもかけられない「企業経営論」なるものがどこかのビジネス雑誌には必ず掲載される。

先日も、とある雑誌に「X理論・Y理論」から見た今業績を伸ばす企業はここだ、という内容の記事があった。

ご存じの方が多いとは思うが、この理論はダグラス・マグレガーが著書「企業の人間的側面」で提唱した理論である。

簡単に説明すると、X理論は、元来人間は怠け者で管理をしないとちゃんと働かないので、ノルマを与えて強制的に仕事をさせる。
Y理論は、人間は自分がやりたい仕事を与えられると自己実現の為に進んで仕事を行い、しっかり責任もとれるので、自主性を尊重して仕事をさせる、という内容である。

マグレガーは、Y理論を採用して経営行う方が高い成果を上げる、としているが本当にX理論よりY理論の方が優れているのかは少し疑問です。

人は誰しもがんじがらめに管理されて、あれやこれやとルール・ノルマを決められて働くことに閉塞感を感じるものだし、かといって会社にビジョン・目標がなく、自由を標榜して何もルールが無いと、逆に「これで大丈夫なのか?」と不安に感じるものである。

人は適度なルール・拘束の中から、どうすれば自分は認められるのかを考え、その欲求を満たすために努力するものであり、特に日本の産業自体が「模倣」から始まり、改良・改善で発展してきた歴史から、日本人の気質には「集団管理」がベースとして合っており、バブル崩壊後からの個人能力主義による「個性重視」の流れから考えると「企業経営にはXY理論の両方が混在するべきだ」と私は考えます。

例えば、今年4月からの新社会人は、小学校入学時からの「ゆとり教育世代」の若者達であり、個性の尊重という名の教育環境下で競争とは無縁な教育を受けて、「人は人、自分は自分、他人の事は無関心」という尊重=無関心の傾向が強い世代であります。
そのような若者達が会社という組織の中で、X理論だけで仕事をさせるとすぐに「この会社は自分をうまく使ってくれない、能力が発揮できないのは会社の所為だ」「こんなルールでは自分の個性が発揮できず、埋もれてしまう」とすぐに辞めてしまう。
逆にY理論だけで仕事をさせると「まわりは何も教えてくれないし、どうすればいいかわからない」「上司・先輩は自分たちを指導してくれないのにそれで失敗したら自分達の所為ではない、この会社は自分たちを育てようとしていない」と辞めてしまい、同時に同じ職場の上司・先輩達は「自分たちの新人時代は、上司・先輩達の仕事を見て覚えてきたのに、今の若い奴はダメだ」となったり、「新人のやりたいことをすぐやらせる会社は何を考えているんだ」となってしまいます。

結果、どちらか一方に偏った理論を採用すると、「社員が会社経営に参画しない歯車になるだけの会社になってしまう」か「主義主張ばかりの義務を果たさず、権利だけを主張する社員ばかりの会社になってしまう」というリスクばかりが高まります。

大事なことは、X理論(ムチ)とY理論(アメ)のバランスであり、「職場環境として、働く上での最低限のルールである入退社時間など労働条件やどういった人材を期待しているかなどを定めた就業規則と会社としての方針である社訓・社是を元に行動目標・売上目標を掲げて社員を統制管理し、職務遂行上では入社して数年はその会社のことを理解する意味も含めて、ある程度の枠組み・拘束の中で経験を積み、実績を積むこと【X理論】が必要である。
そして、頑張った者を公平に評価することで、個人のモチベーションは上がり、社内で認められた自分に気づき、やりたい仕事を任せられる現実から、やり甲斐や責任感が芽生え、会社への帰属意識が高まっていく【Y理論】ものだと考えます。

私は、人は元来怠け者で自分勝手なものである、とする【性悪説】であり、如何にして「統制管理の先にある頑張った者だけが得られる評価・特権を魅力あるモノにするか」が企業経営上は大切だと考えますし、今後の新規学卒者を如何に教育できるか、が人事労務担当者の腕の見せ所だと思います。

「企業は人なり」、使い古された言葉であるが、いつの時代もこれが全てだと思う。