テニスの錦織圭選手。今や時の人となりました。ひと昔前では考えられなかった快挙の連続です。私の若いころはサンプラスの時代でした。当時はそのレベルに日本人が追いつくなんて微塵も感じず夜な夜な観戦していたものです。

今、アメリカからメジャー最強軍団が来日しています。メンバー的に最強ではなさそうですが、両リーグの首位打者もいますし、まあそれなりの選手が来日していることは確かです。そんなメジャーリーガーとも遜色なく戦えている日本チーム。こんな光景にものすごく驚く人はもういないでしょう。それくらい日本のレベルは世界、とりわけアメリカに追いついてきたと言えます。

先日、ある若手プロ野球選手がこんなことを言っていました。
「超一流と言われる選手がメジャーに行くときに、必ず『挑戦』という言葉を使う。これは、日本の野球よりメジャーのほうが上だと思っているということ。それであれば、将来、僕もそこに目標に置いてがんばる。」

私は、この『挑戦』という言い回しに違和感を覚えます。野球は日本では昔から盛んに行なわれていて、それなりに結果も残してきたスポーツです。技術的に劣っているとは思いません。ただ決定的に違うのは体格であり体力、腕力、いわゆる「力」。あと給料(笑)。

冗談っぽく書きましたが、むしろ後者の違いが「格の違い」を生み出している、というか勘違いをさせているように思います。日本で2億稼いていた選手がメジャーで10億の評価を受ける。このことだけでこの選手の野球技術が上がったわけではありません。

テニスの話に戻ると、松岡修造氏は錦織選手がここまで伸びるとは思っていなかったはずです。じゃあなぜここまで登りつめたのでしょう。
やはりマイケル・チャンの存在が大きかった。錦織選手はチャンのおかげで“覚醒”したとも言われています。優秀な指導者のもと、選手は覚醒し、今より高いところを目指すことを、挑戦ではなく当然のものと捉えられるようになるのだと思います。

もちろん生まれもった才能や向上心、モチベーションも大事な要素でしょう。ですが、一流選手と呼ばれる人たちは、我々凡人には到底想像できない領域を体験したり感じたりすることが出来るのだと思います。うらやましい限りです。
そんな選手を育て上げる感動もまた、限られた指導者のみに与えられるものなのかもしれません。

コンサルの仕事をしていると、指導者に課せられる役割の重みをひしひしと感じます。一般的に良い会社には必ず良い指導者・リーダーが存在します。これは紛れもない事実です。指導者の舵取り次第で会社はどうにでも変わります。良くも悪くも。

一流選手と同じ土俵に立って物事を考えるのは容易ではありません。
でも、いつもと変わらない日常になんとなく流されていてもおもしろくありません。
ジャンルは違えど同じ社会人。常に上を見て生きていきたいものです。

平成26年11月18日

コンサルティング事業部
城戸