年始早々から大阪の高校で起こった体罰による自殺事件が
連日新聞・ニュースで報じられています。
 
自殺をするまで人を追い詰める体罰とは必要なのだろうか?
そもそも人をそこまで追い詰めることってなんなのだろうか?と考えさせられます。

昔は躾の一環と称して、「言葉による指導(賞罰)」よりも「肉体の感覚による指導(賞罰)」の方が
効果的に躾けることが出来るという考えから、体罰が行われてきました。
しかし、この体罰も度が過ぎると「虐待」となり、さじ加減の難しさが問われてきました。
幼児期では、触っては危険なもの(マッチ、ライター、刃物、たばこ等)や
口に入れると危険なものが家庭には溢れていて、それを幼児の手の届かないところに
置いていても何かの拍子で手が届き、それで遊んでいた時に
は触ってはいけないものだと理解させるために恐い顔で手の甲を叩きながら、
絶対触ってはダメ、と肉体の感覚による躾は必要ですが、言葉で良いことと悪いことの判別が
出来るようになる小学生以降では、私は体罰による躾は必要ないと考えます。

そうすれば、体罰の加減など考える必要もなく、理解するまで言い続ける根気さえあればいいだけで、
そもそも躾とは間違ったことを次はしないという動機づけのために行うことであり、
何度注意しても治らない場合には体罰ではなく、より本人が気をつけようと思うペナルティーを
与えれば良いのです。
例えば、高校時代にあったかもしれませんが、校則違反したことで1カ月間クラブ活動を禁止する、
髪形を丸刈りにするなどこれが良いか悪いか別にして、本人にとって動機づけになることが
必要だと思います。

それを殴ったり、蹴ったりして恐怖の中で言う通りにさせても何も身につかないです。

これら指導という名の暴力は何も学校だけでなく、会社の中でもしばしば問題となっています。
記憶に新しいところでは、2007年に相撲界で親方が17歳の序ノ口力士にビール瓶で
暴行した「時津風部屋での力士暴行死事件」や2008年には三重県で自動車ディーラーの店長が
ノルマを達成出来なかった大卒新入社員に対して職務怠慢を理由に10日間にわたり
100回以上胸や腕を殴り、被害者は500万円の損害賠償を求める労働審判を
裁判所に申し立てた事件がありました。

何回も同じことを書きますが、私は躾とは子供から大人までルールを逸脱した時に次には
正しいことを行う動機づけであり、恐怖による指導は動機づけにはなりません。
企業内での就業規則の運用も同じことが言えて、懲罰規定は将来に向かって戒める本人への
動機づけであり、縛ることが目的ではありません。
いい大人が社内ルールを守らないことも確かに問題ですが、それを乱暴に判断し過ぎる経営陣が
近頃増えていることが少し心配です。